【ベーチェット病と診断・現実を知る】就職の話が無くなった!
入院後、
検査をして謎の高熱と口内炎や潰瘍は膠原病(こうげんびょう)の一種、「ベーチェット病」が発症したことによるものだということがわかりました。
「膠原病」を「高原病」だと思うような私にとって、
「ベーチェット病」がどんな病気かをちゃんと知り、理解するまでどれだけ時間がかかったことか。
その時は、自分の人生にとって
そう大きな事ではないと思っていました。
やっと現実がわかった(わかってしまった)のが、
卒業式を病院から出席し、無事に専門学校を卒業させてもらえた後のことでした。
体調が安定するまでまだしばらく入院しないといけないから、
翌月からパティシエ見習いとして雇っていただく予定の就職先へ
両親が話をしに行ってくれたときのことです。
シェフに入院した事などを話し、
「もう少し元気になるまで待っていただけませんか?」
と両親が伝えてくれたそうですが、
シェフから返ってきた返事は
「わかりました。
ではこの話は無かったことにしましょう!」
というものでした。
正直なところ、
その時の私は待ってもらえると思っていたのですごくショックで…
今思えば、
専門を卒業したばかりのひよっこな上、いつ回復するかわからないのにシェフに無理なお願いをしていたんだなと理解できますが、
当時の私はそんな事まで考えられず、ただただショックで、
(え?!働くところ無くなったやん!どうしよう?!!)
と、不安しかなく病院のベッドで泣いてばかりいました。
就職先のことがあった後には、
病院の先生に
「今後、普通に勤めるというのは難しいと思う」
と言われ、またまた落ち込み。。
(早くに決まった就職先が卒業直前で倒産して、やっと見つけた就職先やったのに。。
入院になって、ただでさえ仕事が始まってる同級生からは遅れてるのに、就職の話が無くなるなんて。。
それに勤めるのが難しいってどうしていったらいいの?)
と、現実を受け止められずにいました。
1か月ほど入院し退院したあと、
悩んでばかりではあかん!と
せめてアルバイトだけでも!と思い、
アルバイト募集をしていた洋菓子店へ面接に行きました。
隠すわけにもいかないので面接ではベーチェット病の話をしましたが、
「それやったらお家で花嫁修業でもなさったら?」と京都ならではのお断りをいただきました。
私が甘かったのかもしれませんが、
これは悔しかった。
でも、その後も何度か入退院を繰り返していたので、
もし雇っていただいてたら迷惑をかけてただろうから、あの時お断りをいただいていてよかったなと後から思いました。
こんな風に振り返ると、
当時はどうしようもなく悔しかったり、辛かったりしたこともすべて今の自分に繋がっていて、
今では(あの時あれがあってよかったな) と思えている自分に気づきます。
専門学校を卒業するとき、副担任がくれた手書きの賞状には
【月並みやけど、神ってやつは乗り越えられるやつにしか壁を与えへん。
でもな、無理に笑わんでええんやで】
と書いてありました。
壁、乗り越えられたのかな?
「大丈夫、大丈夫~♪」と無理やり笑うしかなかったあの頃の私が、
今の私を見たらなんて言うかしら。
起きたことや過去は変えられないので、
あとはそれをどう受け止め、どう進んでいくのか。
ただそれだけなのかなと思います。
すべて自分次第…ですね♪